うんこマンの思い出

思い出した時に書いているので、時系列は滅茶苦茶です。

自分と繋がる

一人でいる時の自分と人前にいる時の自分に隔たりがあり、子供の頃から困っていた。一人モードの自分と対人モードの自分がいて、後者が動いている間、前者は働けない。しかもその対人モードは母のコピーの様で、適当にニコニコし人に話を合わせ、時に平気で悪口や差別的な(普段は考えていない)ことを言う。
家に帰って一人になると、そこで初めて外での自分の言動を思い出し、後悔し、次に似たことが起こった時に備え頭の中で話し直す。パターン学習出来たことや何度も練習した台詞は対人モードに反映され、少しは上手く話せる様になる。しかし他人との会話はパターン化されていないことが殆どで予測するのは不可能だから、結構な頻度で母のコピーが出て来てしまう。
毎晩繰り返される反省会。寝付けない。一人でいる時は色んなこと考えているのに、それを殆ど他者に伝えられない。悲しい。私が自分として自由に楽しくお喋り出来る相手は脳内友達だけだった。
私はこの現象を特別おかしなことだと思っておらず(だってずっとそうだったから)、誰にも相談しなかった*1
変化が訪れたのは入院する1年ほど前*2、ある大変な出来事(まだ整理出来ず書くことが出来ない)がきっかけだった。それ以降、私は私との会話が可能になり、対人モード担当の私は母のコピーであったことを反省してくれた。今までは繋がりが薄かったから考えを共有出来なかったんだね、これからは普段考えていることを人に話せる様にしていこうね、と私達は話した。

自分との会話とはどんなものか

それまでは、考え事をする時に頭の中での位置を意識したことが無く、強いて言うなら真ん中ら辺だった。
私と私が繋がってからは、大雑把に分けると右の方の私(活力的で働き者)、左の方の私(好奇心旺盛で食いしん坊)、お腹辺りの私(共感力があり涙もろい)、下の方の私(怖がりで慎重派)、色んな所に現れる子供達(アドバイスや励ましをくれる)、そして従来の自分が真ん中にいて、皆の話(仕事しよう、疲れたよ休憩しよう、さあ買い物行こう、唐揚げ作ろう、映画観よう等々日常のこと)を聞きながら行動を決める、という感覚になった。自分が何を感じ何を欲しているのか分かりやすくなり、とても助かった。皆元気でやってるか、大丈夫か、と頭の中に声をかけ確認することで、自分を大切に出来る様にもなった。
これは投薬され大きな妄想・幻覚が消えてからも残った。入院直前~入院して暫くは口に出さないと皆の要求が分からず始終独り言を呟いており、多分周囲からは相当ヤバい人だと思われていたことだろう。時間が経つとまた頭の中で会話出来る様に戻ったが、いつの間にか位置関係は無くなり、現在は自分との会話自体ほぼ消失してしまった(そして自分が何をしたいか分からない)。

医師は全て幻聴だと言った

入院中、それは全て幻聴です、脳内会議ばかりしていないで外の人とも話しなさい、と言われた。私は「私達の歴史を無かったことにしないで下さい!」とキレたりもしたが、入院中は頑張って外の人(入院仲間や看護師さん)ともお話した。しかし「私」が壊れ子供返りしていた(自分としての記憶が全く無い。対人モードの時と同様、誰か別の私が頑張ってくれていた)から、思い出すと恥ずかしい。全く思い出せない期間もある。その頃の話はまたその内。
医師の言葉を信じ「全部幻聴で病気の症状だから無視しなきゃ」と思い皆の言葉を全て無視する様努めた時期もあったが、すごく具合が悪くなってしまった。しかしいつまでも「私達」と考えるのは病的だと脳内会議で決まり、全て主語を「私」で考えることにした。

自分と会話出来なくなった今

「症状が消えてスッキリ!」とは思えない。すごくさびしい。
ただ、何を考え何を実行するか、私が決めていかなければならないのかも知れない。

*1:先日看護師さんに話してみたが、理解してもらえなかった😢

*2:先の記事で書いた外からの魂と話していた症状はせいぜい入院前数週間くらい。もっと短かったかも知れない。記憶に無い。