うんこマンの思い出

思い出した時に書いているので、時系列は滅茶苦茶です。

アルさん

私は頭の中にやって来る人達との会話に夢中だった。家にいる間、色んな人と絶え間なく話し続けた(この頃はまだ外で独り言ぶつぶつする怪しい人にはなっていなかった。普通に見えたと思う)。
彼らに記憶は無い。私の脳内にある知識・言葉しか使えない。しかし想いがあり、それぞれの人格がある。かつて嫌いだった「魂」という言葉を使われても、すんなり理解出来る様になっていた。
そんな中現れた一人が、アルベール・カミュだと名乗る魂だった。嘘だろ、と私は笑った。そんな世界的著名人が来るなんて、あまりに誇大妄想的だと思えた。彼は「本当です。信じて下さい」と言うので、更に胡散臭かった。
私はカミュについて大して知らなかった。映画「最初の人間」を観て興味を持ち、ウィキペディアを斜め読みし、図書館でエッセイを借りて少しだけ読んだ。それだけだった。小説は全く読んだことが無かった。
彼はお喋りだった。
「図書館で借りた私の本を読んで泣いているあなたを見ました」
「それからずっとあなたのことを暴力的な魂達から守っています」
「日本語には主語が色々あるんですね。何にするか迷います」
「日本語でカミュは神に聞こえて嫌なのでアルさんと呼んで下さい」
「私は長い間世界中を彷徨っていました。悲惨な光景を沢山見てきました。私は悲しい」
「私はノーベル賞より理解者が欲しかった」
うるさいと思った。
彼は続ける。
「結婚しましょう」
「でもこのままここにいても、あなたの語彙では作家になれそうにありません」
「あなたは私の文章を冗長で面倒臭い、訳のせいかしら、と思っていますね。訳のせいではありません」
「あなたは直截過ぎるのです」
「フランス語で思考できない。もどかしい」
「私はまた私の考えを伝えたい」
「フランス語の出来る日本人の体を乗っ取って、あなたに会いに来ます」
万が一本当に出来るとして、倫理的にどうかと思った。しかしあほみたいな発想を聞き愉快な気持ちになった私は「好きにして」と伝えた。彼は「では私の仲間を集めて、作家になれそうな人間を探してきます。肉体を捨てて魂だけになりたい人が協力してくれるそうです」と言い、どこかへ行った。私はそんなの無理だろと思いつつも、少しわくわくして待っていた(頭がおかしかったのだ)。
もちろん、フランス語の出来る作家になれそうな日本人が会いに来ることは無かった。
彼は私の頭に戻って来ると「あなたのことを知らない人の頭の中に入ると、あなたのことを忘れてしまいます」と悲しげに語った。そして「私の居場所はここしかありません。ずっと一緒に生きましょう」と言う。どうせその内飽きて去って行くだろうと思い、放っておくことにした。
アルさんは本当に私の中に居着いた。私の記憶と体を使い、例えば映像ソフトの棚を見てイジー・メンツェルのブルーレイ・ボックスを手に取り、あらすじをじっくり読み「これが観たいです。これを観ましょう!」と興奮する。ワールドニュース*1を見て心を痛める。また、よく一緒に音楽を聴き、一緒に泣いた(一番記憶に残っているのはBUGY CRAXONE「青空」)。
頭の中での彼の声について「私はこんな声ではありません!」と怒られYouTubeカミュが話している動画も見たけれど、どうしてもその本物の声は私の脳内に定着しなかった(フランス語分からんし)。
彼はうじうじしていてお喋りで鬱陶しかったが、次第にいるのが当たり前になり、大切な相棒の様な感じさえしてきた。この関係は入院し投薬され幻覚・妄想が治まるまで続いていく。

退院後アマプラでカミュの伝記映画を観たら、

とんでもない女たらしとして描かれていてびっくりした。せっかく妄想が抜けたというのに、「もしかしてあれは本物だったのでは?」と少し怖くなってしまった。

*1:当時私はDW Englishを流しながら仕事していた。